日記・コラム・つぶやき

華佗と歴史

夏に泥水から立ち上がり大輪の華を咲かせる蓮も晩秋になると変貌を遂げる。

何気に今からおよそ1800年前に書かれた歴史書「三国志」の「赤壁の戦い」という逸話を思い出した。

天才軍師、諸葛孔明率いる数万の孫権・劉備連合軍。「風」を読み切り曹操軍80万の兵を打ち破るという有名な戦いで、「レッドクリフ」というタイトルで映画化もされている。

彼も「排除」されそうになったが、曹操軍から10万本の矢を奪い難を逃れた。

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「破蓮の泥となりたる浮き世かな」






ところで、その当時、曹操の頭痛を緩和させた待医に「華佗」という名医がいたそうです。

彼が発見したとされている「華佗夾脊穴」というツボがある。

普段の臨床で鍼灸師は、教科書どおりにツボを取る事は、ほとんど無く患者さんの皮膚反応に従って取穴する。

残念ながら和漢は明治期に途切れてしまったが、鍼灸は「華佗夾脊穴」など西暦三桁の時代から時空を超えて現代人に施術している。

歴史の重みを感じずにはいられないsign01
 

主役と脇役

本年度、ノーベル文学賞を授賞したカ○オ・イシグロ氏。彼は、1954年長崎生まれの日系英国人である。

イギリス文学を一言で表すならば「Wit」であろう。「主役・脇役・沸かせ役」それぞれの役割(Role)が明瞭でメリハリの効いた作品が多い。

最近多く見られる、日本のドラマや映画が主役級の俳優を揃え一本調子になっているのと対象的である。


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「灸ひねり身体ひねりし実南天」

今年も当院の「南天」が実をつけ始めた。「難を転じる」に通じる事から縁起物として植えている。

地味であるが庭の「名脇役」ですね。


それはさておき、明治以降日本医療の主役は、西洋医学にスイッチし、それまでの和漢や鍼灸は「脇役」として今日まで続いて来ました。

補完医療と呼ばれている鍼灸治療には「身体の歪み」を調整する効果があります。

身体を元に戻そうとする作用を使う鍼灸治療は、「経絡の歪み」を調整し、体を元の状態に回復させます。

近年、成果主義に踏み切った企業でのハードワーク、休日の接待ゴルフ、介護や育児などは、自分の知らぬ間に心身を酷使します。

そこで、現代医学(主役)と伝統医学(脇役)が一体となる事で、患者サイドにメリハリの効いた医療を提供出来るのではないかsign02 と思います。

実りの秋

9月も下旬に差し掛かり、暦を見ると今年もまだ3ヶ月ある事に気づいた。

毎年、秋風が心地良い季節になると、確定申告セミナーの案内が届く。

その甲斐もあり数字に強くなった気がする。

ところで、報道によると2年後の2019年に消費税アップが予定通り行われるようなので、今から対策を考えています。

Aki

 

「毛見の衆どこ吹く風の使い途」


消費税引き上げ、その使い方を見誤ると深刻な事態を招く。

というのも、8年後の2025年には、団塊世代が75歳以上になるからです。

しばしば、メディアで欧米のミレニアル世代を例に挙げるが、日本のそれとは比較に成らない。

何故なら、日本では次の消費の主役の価値観が、これまでのものと変化しているからです。(消費行動の低下)

老婆心ながら「船頭多くして船山に登る」とならない事を切に願いたいですね・・・。


原風景

東京生まれの私には、故郷というものが無い。

今年の夏、十数年ぶりに大学時代の旧友と彼の地元で会った。

彼は卒後Uターンを選択し、とある地方のホームタウンで働いている。

以前、その街は夏祭りを開催するなど活気に満ち溢れていた記憶がある。

久しぶりに会った彼の浮かない表情を理解するまでにさほど時間は要らなかった・・・。


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「ふる里のシャツター通りふと秋思」




もし私に故郷があって「寂れた町」に変貌したら、きっとこう思うだろう。


また、自分の生まれ育った街の風景は、その人の「原風景」に影響を及ぼす。

それは何故か?ココロの底に人がいるから。それは自分の両親であり、子供の頃に遊んだ友人、或いはお世話になった近所の人でしょう。

どうしてこうなってしまったのか?ひょっとしたら道端に咲くペンペン草は知っている・・・。

 

かもしれないsign02

 

 

風吹けば・・・

日本の諺に「風吹けば桶屋が儲かる」というのがありますよね。

私は、鍼灸院を生業としているので経済学が専門ではないが、「国富論」からP.F.ドラッガー、ピケティなどは目を通しています。

というのも経世済民、お金を身体に例えると血液、医療とも繋がりがあるからです。

ところで、カオス理論の一つにバタフライ効果というのがある。

『ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがアメリカで竜巻を起こすかも』という内容で気象学者のエドワード・ローレンツが提唱した。

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「病癒えコスモス色に変わりけり」





鍼灸の古典である素問霊枢では、手足は河川、体幹は海に例えられている。

その当時、東洋医学の先人達は自然界の規則性に真理を見出したのだ。

ちなみに手足に加えた微量の刺激は、前腕(下腿)から上腕(大腿)を通り体幹の皮膚を部分的にほんのり赤く変える。(血行改善)

彼らは、きっと思いがけない所に波及効果が起こる事に気づいていたのだろう。

また、現在パラダイムシフトが起こっていますが、欧米流のドラスティックなチャンジばがりでは無く、バタフライエフェクト的な発想も必要かもしれないsign02

予測力

普段、私はTVCMを良くチェックする。なぜならば、それが世相を反映する鏡になっている事があるからである。

そんな折、目に止まったのが、ホテル検索サイト・トリバ○でサイトを紹介している外国人女性だ。

てっきり口パクだろう? と思っていたら実は流暢な日本語を話す方だった。

音声学(phonetics)からみて、英語圏の人々は日本語の「つ」(tsu)が無いので、その発音が苦手である。

しかし、彼女は学生時代に日本のアニメやネットで日本文化を勉強し、この問題を見事クリアーしている。
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「お早めの転ばぬ先のジキタリス」





さて、この話を聞いて思い出したのが、30年前に読んだ「菊と刀」である。

著者のル-ス・ベネディクト女史、彼女は一度も来日した事は無く、在米日系人などから得た膨大なデーターを元に1946年これを刊行した。

当時、私は女性ならではの寛容さと深淵なる洞察力、予測能力の高さに感銘を受けた。

勿論、本書に対する批判がある事も承知していますが、このような本には、誤訳による原文とのニュアンスの違いが往々にしてあるものである。

尚、彼女は、本書の終わりにこんな言葉を残し締めくくっています。

「日本はもし事情が許せば、平和な世界の中にその位置を求めるであろう。もしそうでなければ、武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。」『菊と刀』(長谷川松治訳、講談社学術文庫からの引用)

先の読めない時代に彼女の言葉が、記憶の底から蘇って来るとは思いにも依らなかったsign01

スマホ首

ある日の電車内、ほとんどの人が、スマホ(小型PC)の画面に釘付け。

髪の長い人は、まるでエアコンの風が、棚引く柳のようでした。
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「夏柳パソコン前の猫背かな」




普段の生活で自然と人工物は、とかく対比されますが、スマホも人間(自然の一部)によって作られたもの。

東洋医学では、これを陰中の陽或いは、陽中の陰と言います。

また、スマホ首は、頸椎の自然なアーチが失われて様々な症状(不定愁訴)の原因になります。

これも文明病なのかもしれませんねsign02

移ろい

当院の庭に紫陽花が咲いたので花瓶に挿してしてみました。

梅雨でどんよりとした天気でも凛と咲く姿は美しいですね。

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その花色は土壌のPHで変わります。

「紫陽花や挿して身体は七変化」

俳句に切れ字の無いだらだら詠ってありますよね。

基本的に当院は、ただ時間を長くするだけの施術はしません。

なぜならば、鍼一本、多く刺しただけで治療効果が、ガラッと変化するからです。

人の心や体は、うつろい易いので鍼灸は時間で謀れ無いと私は思いますsign03

 

自己防衛

梅雨入り前の5月は、意外と紫外線が多いので、肌の乾燥などが起こり易いです。

乾燥によって生じる肺経の変動は、様々な不調の原因になります。(特に精神作用と関わりが深い。)
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その流れがもっとも盛んになる時間帯が午前3時~5時。

例えば、交感神経が活性化した状態で寝る事により生じる早朝覚醒や明け方の喘息発作が、これに当てはまります。

他にも肺経を調整する事で効果のある病症をざっと挙げてみると

1.肩こり 2.五十肩 3.肺経に沿った腕の痛み 4. 風邪(インフル除) 5.口・鼻・喉の乾燥 6.  蕁麻疹 7.湿疹 8.悲哀から来る自己憐憫 9.落胆 10.やる気の欠如 など

また、肺の肺胞は、ほぼテニスコート1面分の広さがあり、それ故にオペが難しいと鍼灸学校で習った記憶があります。.

東京五輪前の今、受動喫煙の問題が取りざたされていますね。

私は、煙草を嗜みませんが、気になる事ではあります。sign01

 



 

5月だというのにもう猛暑。shock

良い避暑地なのか、猫の額ほどの当院の庭に野良猫が顔を出した。

もう少しソォーッと近づこうとした瞬間、私の気配を察知し逃げました・・・。

「のら猫と間合い掛け合い夏の庭」

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さて、鍼灸治療の利点は、患者さんと施術者の距離(間合い)が、近からず遠からず良い加減になっている事です。

これは、鍼と灸といった物質が、その間を上手に取り持つ関係にあるからではないかと私は思います。

嘗て、身分の高い方の治療をする際、施術者は帳の外から診断をしたそうですが、いくらなんでもこれは離れ過ぎ。


また、近年は季節の移り変わりが激し過ぎて「四季の間」が無くなって来た気がします。

残念ながら自然の猛威には、為す術がありませんねsign02

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